shapelism  花田設計事務所

秋田市の有限会社花田設計事務所が日常や「ものづくり」の記録をしています。

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県庁での有識者会議に出席するついでに新しい市庁舎を見てきた。

写真は解体を待つ旧市庁舎。頑張って造った人には申し訳ないが新しい方よりこちらの方がはるかに魅力的。
中途半端なオマージュ感を演出しているような感じにロジックの破綻が見えて「なめられたモンだ」という感じ(失礼!)

新しい方の今更90年代的なあり方を秋田杉を使ってインテリアの問題として現代的に処理(誤魔化した)してしまった残念な感じがイヤ。まぁこの処理については主観も入っているのでこれ以上は触れない。

決定的だったのは執務空間のチープ、というか雑な思想が垣間見えてこれは設計者や施工者では無い負の力が働いたものであることが読み取れる。
物創りの過酷さだけは伝わるという、製作者にとってもユーザーに取っても不幸な状態を感じてしまった。

前の市庁舎は40年位は使っただろうか?新しいのも同じかそれ以上なんだろう。

2016年に1990年代の腐臭がする建物を造りすでに陳腐化を感じるデザインコンテクストが経年を経て生ずる劣化を起こした時、負の力を働かせた人達はどう思うのだろうか?

…負の力を働かせたのは私達受益者だ。



公共建築のあり方を問い直す時期に来ている。良い悪いは時代がくだすのだろうが少なくとも2000年以降は全く違った建築が建っているのが事実。この建物は違う。

これをコレで良い。と判断するに至った製作者の問題では無い。役所の建物なんだから。役人になんで贅沢させるのか?
コレだ。もちろん程度問題としては理解できるが!だ。

館内をくまなく回った訳では無いからよくわからないのだがセンタースなる市民センターも併設されているそうだ。収益性の低いカルチャースペースは人気不人気はあるが秋田市に溢れかえっている。溢れかえるものをまた求めるニーズ。

それもまた血税である。



そしてその割には相変わらずなハコモノアレルギー。これではワガママな子供ではないか?

余談ではあるがすでに社会資本の整備は十分に行われたのでもはやアレルギーを起こしている場合じゃないのだ。現存する物が膨大過ぎてこれからどの様に使っていくのかを考えなければならないのだから。

話を戻すが公共建築が内包する問題はコレである。主権者(ユーザー)が徹底的にワガママで自分に甘い。責任の所在をむしろ積極的に曖昧にする事で互いに問題を避けている。今の日本の縮図であり、現在それが我々を悩ませている元凶なのである。原子力とかね。


必要な物に必要な投資を最小限にしていく。当たり前の事だが「必要な」の検証が…いや検証では無いな。

なんだろう?「システム創り」みたいな物が恣意的に捻じ曲げられ、誤解を生み、結果建物が槍玉に挙げられ、嫌われていく。しかももうお金は使っちゃった…みたいな所から脱却しない限り、子供達に渡すに足る世の中は創ることは出来ないな。と改めて感じた次第である。

建築には罪は無い。


もちろんきちんと読めば理解できるだろうがあの建物の批判では無い。なんだか人間の業の様な物を見せつけられた気分なだけ。

誰のせいでもない。私達全員が真剣に考えるべき社会的な問題なのである。そして多分今も進行中なんだよなぁと嘆く位しか出来ないのが今の社会を覆っている黒い霞の正体なのだろう。

何かが始まる、あるいは始めたくなる様な高揚感が決定的に感じられず施設をあとにした。


それではまた…










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